甘えっ子の発明[亀の子束子西尾商店]

ビジネスコラム
 時は明治時代の中頃、場所は文京区小石川。そこに働き詰めの母に甘える男の子がいた。遊んで欲しくてまとわりつく男の子だが、忙しく働く母には、子供の相手をしている暇などなかった。何時も遊んでやれない我が子を、愛おしむ母は貧しい暮らしの中から、おやつに蒸した芋を用意していた。そして、お腹が満たされた男の子に、友達と遊んで来るように、優しく諭す毎日だった。こうして、男の子は何時も働く母親の後ろ姿を見て育った。やがて男の子は、何時かは貧しい暮らしから抜け出して、母親を楽にさせてあげたいと思うようになる。大きくなったら売れるものを何か発明して、お金持ちになりたい。そんなことを毎日思い続けていた。男の子の名は、「亀の子束子」の発明者・西尾正左衛門であった。大人になった正左衛門は、母が働く後ろ姿を見ながら思いついた。母が編んでいたシュロを針金で巻いて、靴拭きマットを創ることを考える。それまでの縄で編んだマットと違い、シュロで編んだマットは、ブラシのように靴の泥を削り取ってくれた。これが、ことのほか好評で、売れ行きに気分を良くした正左衛門は、念願であった特許を取って、大々的に売り出そうと特許庁へと向かった。しかし、特許庁では同様のマットが既に、英国で特許が取得済みであること、さらに正左衛門が考えたマットに使っているシュロでは、何回も使用したり、体重の重い人が乗ると、毛先がつぶれて効果がなくなると、欠点まで指摘される有り様だった。案の定、販売したマットが大量に返品されてきた。正左衛門は苦しい生活が続くなか、ことの後始末で忙しさに振り回されたが、新商品を発明する心だけは失わなかった。


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前衛派アパレルの旗手[コムデギャルソン]

ビジネスコラム

 前衛派アパレルの旗手「コムデギャルソン」は、デビューから40年が過ぎた。業界ではユニクロなど一部の、低価格アパレルブランドを除いて、売上が極端に低迷している。その中にあってコムデギャルソンは次々と反骨精神を打ち出し、国内はもとより海外でも高い知名度を武器に活躍の場を広げている。創設者の川久保玲は「私にとって服は表現の場で、方法論の一部に過ぎない」と語る。日本が世界に誇る女性ファッションデザイナー川久保玲は、1942年10月に東京で生まれた。慶応義塾大学の職員であった父親の関係から、同大学文学部人文社会学科で美学を専攻。卒業後は旭化成に入社し、宣伝部でスタイリストを経験する。わずか3年で退社し、フリーのスタイリストとなる。1969年にコムデギャルソンのブランド名で、婦人服の製造販売を開始。ブランド名の由来はフランス語で「少年のように」の意である。1973年にブランド名と同じ「コムデギャルソン社」を設立。1975年には東京コレクションに初参加し、この年に東京・青山に初の直営店をオープンする。山本耀司(既号264.ブランドの危機)とともにパリに渡り、服飾の既成概念を崩した一人である。1981年にパリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。それ以後はパリを中心にコレクションを展開。非構築的で斬新な表現手法はクリスチャン・ディオール(既号63.ディオールのシルエット)のジョン・ガリアーノ(既号200.ブランドとデザイナー)など多くの外国人デザイナーにも影響を与えた。黒を基調としたコレクションは、かつて「黒の衝撃」「ジャパネスクカジュアル」などと呼ばれ、世界中から注目を浴び、洋の東西を問わず根強い人気を誇っている。1980年代の日本では黒の服に、おかっぱ頭の女性が街を闊歩し、「カラス族」なるスタイルを生み、それが流行語にもなった。イギリス人の夫はコムデギャルソン社の幹部である。


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お名前シール・入園セット[パレットプラザ萩中店]

糀谷商店街にあるパレットプラザ萩中店からのチラシです。





ご入園・ご入学の準備にとっても便利!
2タイプ新登場!!便利な9つのラインナップ。


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ドイツ人捕虜が造った菓子[ユーハイム]

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 今では誰もが知る洋菓子、バウムクーヘンはドイツ人捕虜によって、日本で初めて造られた。カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイムは1886年にドイツのカウプ・アム・ラインで、父フランツと母エマの10番目の息子として生まれた。国民学校を卒業後に菓子店で修行をしながら、夜間の職業学校へ通った。22歳の時、菓子店協会の会長に勧められて、当時ドイツの租借地であった中国・青島市で、ジータス・ブランベルグの経営する喫茶店に就職。翌年、ブランベルグから店を譲り受けて、自らの喫茶店「ユーハイム」を開店。カールの造るバウムクーヘンは、本場ドイツの味と同じと、在留ドイツ人の間で大評判になる。1914年春に帰郷し、エリーゼ・アーレンドルフと婚約、夏に青島市にて結婚式を挙げる。この直後にドイツはフランスとロシアに宣戦布告して第一次世界大戦に参戦。イギリスはドイツに宣戦布告。イギリスと同盟を結んでいた日本軍は、青島市に駐留するドイツ軍を攻撃し、青島は11月に陥落。投降したドイツ軍将兵は3906人だったが、日本軍は4000名の大台に乗せるべく員数合わせのために、翌年9月になって在留民間人を捕虜に加えたと云われる。この中に非戦闘員だったカールが含まれており、妻エリーゼは妊娠初期であった。カールは大阪俘虜収容所へ移送されたが、青島に残した妻と、未だ見ぬ子を思い悩む日々を送る。1917年2月、インフルエンザ予防のため、捕虜全員が広島にある似島検疫所へ移送される。1919年3月になって広島県が、似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の、展示即売会を開催することになった。カールはバウムクーヘンなどの菓子造りの担当になった。カールはバウムクーヘンを焼くための堅い樫の薪や、当時はなかなか手に入らなかったバターなど、材料集めに苦労したが、バウムクーヘンを焼き上げることに成功。広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)で、開催されたドイツ作品展示会にて製造販売を行う。これが日本で初めて造られたバウムクーヘンであった。カールは青島市が日本軍に占領されていた頃、日本人はバターの量が少なめが良いとの経験則を持っていた。この日本人向けにアレンジした味のバウムクーヘンは、大評判を呼び好調な売れ行きとなった。


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第6回おおた銭湯ウォーキング[大田浴場連合会]

第6回おおた銭湯ウォーキングの詳細のチラシはこちらから!
ウォーキングに参加してクイズに答えて大田浴場組合オリジナルの手拭を貰おう!コース途中の銭湯にクイズのヒントがあるよ!

今回も引き続きネットからの参加申込みができますのでイーチラシの広告か大田浴場連合会の公式HPまで!




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