甘えっ子の発明[亀の子束子西尾商店]

時は明治時代の中頃、場所は文京区小石川。そこに働き詰めの母に甘える男の子がいた。遊んで欲しくてまとわりつく男の子だが、忙しく働く母には、子供の相手をしている暇などなかった。何時も遊んでやれない我が子を、愛おしむ母は貧しい暮らしの中から、おやつに蒸した芋を用意していた。そして、お腹が満たされた男の子に、友達と遊んで来るように、優しく諭す毎日だった。こうして、男の子は何時も働く母親の後ろ姿を見て育った。やがて男の子は、何時かは貧しい暮らしから抜け出して、母親を楽にさせてあげたいと思うようになる。大きくなったら売れるものを何か発明して、お金持ちになりたい。そんなことを毎日思い続けていた。男の子の名は、「亀の子束子」の発明者・西尾正左衛門であった。大人になった正左衛門は、母が働く後ろ姿を見ながら思いついた。母が編んでいたシュロを針金で巻いて、靴拭きマットを創ることを考える。それまでの縄で編んだマットと違い、シュロで編んだマットは、ブラシのように靴の泥を削り取ってくれた。これが、ことのほか好評で、売れ行きに気分を良くした正左衛門は、念願であった特許を取って、大々的に売り出そうと特許庁へと向かった。しかし、特許庁では同様のマットが既に、英国で特許が取得済みであること、さらに正左衛門が考えたマットに使っているシュロでは、何回も使用したり、体重の重い人が乗ると、毛先がつぶれて効果がなくなると、欠点まで指摘される有り様だった。案の定、販売したマットが大量に返品されてきた。正左衛門は苦しい生活が続くなか、ことの後始末で忙しさに振り回されたが、新商品を発明する心だけは失わなかった。
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